空想スゴロク

現在の状況は、まるで液状化した大地の上でスゴロクをしているかの如く

雑感2 

ジョーン・バエズの「記憶」

ロヒンギャ難民とバングラデシュのことについて調べようと思いPCに向かってググっていた時、急に思い立ってYoutubeの検索窓に「ジョーン・バエズ バングラデシュ」と打ち込んでみた。すると、あっさりと「バングラデシュの歌」が出てきた。

この歌を聴くのは何十年かぶりだ。この歌は1971年、300万人が殺害されたと言われるバングラデシュ独立戦争の1,2年後にバングラデシュ救援のために作られた歌だ。

僕は長い間バングラデシュに関わってきたので時折この歌の存在を思い出すことがあったが、それ以上のことは何も考えてこなかった。

しかし、どう頭の中を探っても、この歌にまつわる個人的な体験、あるいは聞いたときのシーンを思い出すことが出来ない。

はっきりしているのは、この歌を聴いたのは北海道にいることだったと言うこと、そして僕はまだ中学生か高校生だったということぐらいだ。

知らない歌手の歌なら思い出すこともないだろう。しかし、僕の家には彼女のアルバムがあって、小学生のころから聞いていたのだ。それから、「ウッドストック」に出ていた彼女をロードショウで観ていて、ビラ=ロボスの「ブラジル風のバッハよりアリア」を歌ったと記憶している。

 

 

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(通常の演奏の構成はオーケストラと一人のソプラノだが、上のリンクは恐らく小さなサロンで一本のギターをバックにした歌唱。このバージョンも(確か)ビラ=ロボス自身の手によるものだ。作品数こそ少ないもののギターにとっては最も重要な作曲家の一人だ。)

 

僕自身の貧しい記憶について

しかし、正直に言って、僕は昔のことを殆ど憶えていない。記憶力に自信はないとはいえ、そういう問題ではない。信じがたいかも知れないが、まるで人生の大半が存在しなかったかのように、子供の頃ことも大人になってからのことも殆ど憶えていないのだ。もちろん、記憶喪失者ではないのだから日常生活に支障が出るほどの喪失ではなく、あえて言えば準記憶喪失とでも言うしかない。

そんな自分でも高校2年生の頃、初めて付き合った彼女の名前は忘れていないし、彼女が小学生の頃、営林所に勤めていた彼女の父親が死んだ話も、断片的であるが思い出すことが出来る。早苗という名の1歳年下の彼女はその頃の話を驚くほど事細かに憶えていてよく語ったものだった。

けれども僕は自分の父親について恐らく何も語らなかったと思う。父は僕が小学5年か6年の頃にどこかに消えてしまっていたのだ。

父の失踪は端から見ればよくある話に過ぎないかも知れないが、僕にとっては決して他人に語れない秘密だった。父がいなくなって家には借金だけが残り、その結果、家も土地も失って僕の一家は追い出されるように村を出たのだった。思えば父は見栄っ張りで、家族に対して格好を付けたかったのかも知れない。そのため借金したり詐欺まがいのことをしたりして二進も三進も行かなくなって逃げ出す羽目になったのだろう。

僕自身はと言えば、見栄とは無縁で、青年期に長く鬱病を患ったこともあって父のことはもとより、自分自身のことも(匿名ならばともかく)誰にも語らない人間となった。自分の過去のことを忘却してしまうことで、相手に対して正直でないこと、心を開いていないこと、秘密を持っていることなどの罪悪感から逃れてきたのだ。過去を思い出せず、何も語らなければ嘘をつく必要もない、という訳だ。

こうした心理的な抑圧が、僕の準記憶喪失とも呼べる症状の原因かも知れない。あるいは、若い頃の鬱病もしくは治療のための向精神薬による副作用の可能性、つまり薬によって記憶野が冒された、というような可能性も否定できない。

ちなみに、その後父は再び家族に連絡してきて3年ほど一緒に暮らした後また失踪した。そして、母が亡くなった半年後に自殺体で発見されたのだった。

 

さて、ジョーン・バエズの話に戻そう。数年前のことだが、家族でバングラデシュダッカの友人宅に泊まったときの事だ。何かの折に見せられた写真の中にその友だちと写っているジョーン・バエズの姿があった。聞けば驚くべき事に、友人だという。子供頃から知っているフォークソング界のスターと自分の知り合いが友人だということを知り、何と世界は狭いのか、と不思議な気持ちになったのを憶えている。

僕は生涯、反戦平和の側にたって生きてきた。思えば、ジョーン・バエズの歌との出会っていたことが自然とそうさせたのかも知れない。中学2年になると岡林信康などの日本のフォークを聞くようになり、高校生の頃には大人に混じってデモに参加するようになっていた。

僕はこれまで記憶に蓋をして生きてきた。昔のことを思い出すこと、それが当面の課題で、そのためにもこのブログは匿名のままで、僕自身の体験にまつわることを綴っていこうと思う。